■日本の心を美しくする 今月の当会推薦書籍


 「学問のすゝめ」 〜人は学び続けなければならない〜
 三笠書房 1300円+税
 福沢諭吉著
 檜谷昭彦現代語訳
 推薦者:津田孝子




1872年に福沢諭吉の故郷大分県中津に学校を開設するに当たり、中津の友人のために書いたという名著。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり」という有名な言葉は、初編の書き出しです。この初編から17編まで合わせて、340万部が読まれたといわれています。
このあまりにも有名でありながら、全編を読んだことがないという人も結構多いのではないかと思われる名著が、今年の3月に現代語訳で登場しました。今回はより読みやすく身近になった本書をご紹介しましょう。

●もくじ
初編  天は人の上に人を造らず
二編  勉強しない人ほど損な人はいない
三編  独立の「気風」をいかに育て、守るか
四編  「人の上に立つ人」の責任とはなにか
五編  人間の「勇気」はどこから生まれるか
六編  法律の貴さを論じる
七編  国民のなすべき務めを論じる
八編  自分の考えだけで他人を評価してはならない
九編  学問の目的とはなにか
十編  明日に希望が持てる生き方を
十一編  ニセモノ紳士の実態
十二編  効果的なスピーチのすすめ
十三編  怨望は何よりも有害であること
十四編  自己の精神を再点検する
十五編  「取捨選択」を誤るな
十六編  「物質的独立」なくして精神の独立はない
十七編  人望は人間の大きさ・仕事の大きさに比例する


●「実学」を身につけよ
『実語教』という修身の本に、「人、学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とある。つまり、賢人と愚人の違いは、学ぶか学ばないかによって決まる。学問に励み、物事をよく知る者は偉くなり富み栄え、無学な者は貧しく身分の低い人間になる。われわれが学ぶべきものとは「実用の学問」である。「実学」が身についてこそ、それぞれの立場で自分の務めを果たし、家庭を維持することができる。それが一身の独立である。ひいては家の独立、国家の独立につながるのである。(初編より)


●独立の精神
独立とは、自分で自分の身の始末をつけ、他人を頼る心がないことを言う。他人の考えに影響されず、自分で物事の正しさを誤りを見分け、自分の行動に間違いを起こさぬ者を"独立人"という。
独立の精神なき者は、常に他人をあてにする。他人をあてにする者は、必ず他人の態度を気にする。これでは自己の権利を主張できない。
国を愛する心があれば、自己の独立を考え、父兄は子弟に、教師は生徒に、独立を教えすすめねばならない。全人民がともに独立して、国を守らねばならない。(三編より)

●学問の目的
人間の心身の働きは、「自立した個人としての活動」と「人間社会における活動」の2通りに分けて考えることができる。昔から多くの有能な人物は、心労を重ね世のために力を尽くしてきた。彼らは社会における人間の義務を重んじ、高く大きな理想を抱いて努力したのである。
現在、学問に励むものは皆、こうした先人達の遺産を受け継いで進歩の先端に立っていられるのだから、さらに文明の発展に尽くすべきである。われわれの責務は、現代社会に活動の跡を生き生きと残し、これを遠い後代に伝えようとすることにある。(九編より)

人間として、一身一家の生活が安定していることだけで、満足すべきではない。人間が天から授かった資質には、より高い務めを果たす力がある。社会の一員としてその立場を自覚し、社会の発展に尽くさねばならぬ。(十編より)


●判断力を養う
文明の進歩は、天地のすべての働きを研究して、真理を発見することにある。西洋文明の発達は疑いを持つという精神から発した。しかし、疑うばかりではいけない。何を信じ、何を疑うかを選択する力が必要なのである。学問とはつまるところ、この判断力を養うことにある。
信ずるに足るものを信じ、疑わしい点に疑問を持ち、どれを採り入れ、何を捨てるか、正しく選ぶことが大切なのである。(十五編より)


以上、十七編のなかから、主だった要旨をご紹介してみました。



■東洋版『自助論』

あまりにも有名な初編の書き出しから、「すべての人は平等である」ということを説いたものだろうと思っていましたが、全編をとおしてみると単なる平等論ではなく、「平等」と「公平」という観点を具体的に説いたもので、あまりにも痛快な文章(訳語ですが)に思わず笑いが出るほどの愉快な読み物でした。そしてまた、当時の日本人に「すべての日本人は学問をおさめて人格を高め、独立した個人となり、世のため人のために生きよ」と言っているような気がしました。

当HPの子ども向けコラム『「勉強のすすめ」 〜福沢諭吉(ふくざわゆきち)と学問のすすめ〜』にもありましたように、学問をし努力することで立派になれ、豊かになれるということはほんとうに幸福なことだと思います。身分制の社会では成し得なかった、生まれや育ちといった運命や宿命、環境などに縛られるのではなく、自助努力によって開けていく人生を肯定する考え方だからです。

当時の西洋には名著『セルフ・ヘルプ(自助論)』がありますが、東洋に『学問のすゝめ』があったことで、自助努力の精神は西洋独自のものではないことがよくわかりました。仏教にも「縁起の理法」という教えがありますが、これもまた人生の成功・不成功に対して、個人の努力の余地というものを明確に肯定する思想であり「自助努力の精神」そのものであると思います。このような思想を背景に、当時の日本人は大きな志を掲げて学問にいそしみ、真なる「開国」を目指していったのだなぁ、と思いました。


■学問の効用

時代を少し遡りますが、明治維新の志士たちのなかには、一生懸命に蘭学をやった人が数多くいたという話を聞いたことがあります。蘭学の知識そのものが明治維新に役立ったということではなく、「衣食や睡眠を節してでも、みずからの精神を高め、大きな未来を開くために努力する」という精神そのものが仕事をしたのだそうです。

学習には特定の知識を得ることにだけ効果があるのではなく、目標を持って努力する姿勢のなかに、偉大なる人格が築かれていくという効用があるようです。学問の対象を問わず、絶えず前進していこうとする意思の力を背景に、広い意味での精神力が養われるということなのです。学びに対する情熱を持っているということは、それ自体が大いなる才能であるといえるかもしれません。


■新時代の『学問のすゝめ』

日本は敗戦後の荒廃を乗り越えてめざましい発展を遂げ、わたしたちの生活はたいへん便利で豊かなものになりました。しかしわたしたち一人ひとり、あるいは社会全体としての精神的な豊かさは実現されていないと感じている人が多いのも事実ではないでしょうか。

国民の多くが追い求めてきた物質的な豊かさの実現という目標が達成された現在、次に目ざすべきは「心の豊かさ」や「国際社会への貢献」であるといった共通の認識はあるものの、これからの社会やその中で生きる個人の姿が明確になっておらず、漠然とした不安感や閉塞感が漂っているように思います。そして個人も社会も、自らへの自信や将来への希望を持ちにくくなっているのが現状だと感じられるのです。

こうした歴史的な転換期・変革期における混迷を乗り越えて、わたしたちはお互いの個性を尊重し合い、それぞれの多様な生き方を個人としても社会としても認め合い、社会の一員として責任感と義務感を持って共に生きることができるような社会を築いていかなければなりません。そのためには今後どのような目標に向かって進むべきかを考え、その目標の実現のために主体的に行動していくことが必要となります。その原動力のひとつとして、新時代のための『学問のすゝめ』をぜひ、おすゝめしたいと思います。





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