|
映画『プライベート・ライアン』 〜人が生きるということ〜 公開:1998年(米)、スティーブン・スピルバーグ監督 主演:トム・ハンクス、マット・ディモン 1999年アカデミー最優秀監督賞他5部門受賞 推薦者:黒岩宏光 ロードショー公開から1年ほど経過したので、すでにご覧になっている方も多いと思いますが、私自身、最近ビデオにて再度見る機会があり、あらためてこの映画に感動したので、同じく戦争映画で春に公開された「シン・レッド・ライン」と合わせて当会の視点から見た映画紹介をいたします。 ■人が生きるということ―――― 「人生を無駄にすることなく、しっかり生きろ」 物語の最後に、ミラー中隊長はライアン2等兵に言い残します。 この、しっかり生きろという、「生きる」ということの意味は何であるのか。何をもって人間は生きたと言えるのでしょうか。 「私はしっかり生きたかな」 年老いたライアン2等兵は妻に語りかけます。若かりしライアン2等兵から時空間を隔てるモーフィングはスピルバーグ監督の独壇場、感動のラストシーンです。 もちろん、映画を見た聡明な方は気付いています。 ミラー中隊長の言った「生きる」ことの意味は、その価値を見つけるということを問うていることなのであります。 ■戦争〜その地獄絵図 兵員輸送船が着岸し、その扉が開く間もなく、機関銃によって蜂の巣状態に銃撃される兵士達。 豪雨のように繰り注ぐ銃弾を避けながら海へと逃れる者にも、その海中に容赦なく銃弾は降り注ぎます。運良く上陸できても、地雷によって吹き飛ばされ、手榴弾の爆発に火だるまになる惨憺たる状況。怒号に悲鳴、血しぶきに、折り重なる死体の山――。 「D−day」―1944年6月、第二次大戦中のアメリカ軍によるノルマンディ上陸作戦を舞台に、ハンディカメラがドキュメンタリー風に撮す冒頭の戦闘シーンの内容は、本物の戦場にいるとしか思えないような大迫力であります。 スピルバーグ監督が、とにかく本物そっくりな臨場感にこだわったといわれる戦闘シーンはちょっと普通ではありません。アメリカの映画館では17歳以下は見ることができない指定を受けたこのシーンは、まさに「地獄絵図」。 人間同士の争い、殺し合いほど痛ましき見本はないでしょう。悲しみの極みとも言える映像を初めから生々しく表現していきます。 いやしかし、このシーンが悲惨であるほど、この映画の良心たる「ライアン2等兵を救出する」ことの意味が鮮明なコントラストとして映し出され、「地獄絵図」は非凡なるこの映画の単なるプロローグの役割を果たしているということに気づきます。 ■美しきヒューマニティ ――母親の元に同じ日に届く事になる3人の息子の戦死報告書。 この母親の気持ちを思うと、とてもいたたまれない。いやまだ救いはある。4男のライアン2等兵はまだ生存の可能性がある。なんとしても母親の元に、このライアン2等兵を生きて帰すのだ――。 とてもいい話であります。戦争という狂気の中において、忘れてはいない人間としての温かさを、人間の優しさを物語は見せてくれます。 悲惨な映像が濃ければ濃いほど、この優しさが映画の中で輝いてくるわけです。 映画のストーリーは、軍参謀総長の命を受け、あるいはもうすでに戦死しているかも知れぬこのライアン2等兵を敵地のまっただ中で探し、救出するため選ばれた、ミラー中隊長(トム・ハンクス)をはじめとする8人の戦士達の姿を描いております。 神に許しを乞い敵兵を狙撃する凄腕のジャクソン2等兵、忠信な部下のホーバス軍曹、気の弱い通訳兵のアパム伍長――8人のキャラクターを描き分けたストーリーにも一層の厚みがありたいへん面白い内容です。 「ライアンとかいうやつは、俺達が命がけで救うほどの価値のあるやつなのか?」 救出の途中、ミラー中隊長は自問します。自分たちが命を落とすことになるかも知れぬ危険な行動の中で、誰もが疑問に思い、その理不尽さを感ずるわけであります。誰にも母親はありますし、家族もいます。もっともな理由です。 ■生きることの価値観
しかしながら、ライアン2等兵(マット・ディモン)に遭遇し、彼の行動を考える中に、ミラー中隊長は部下の意見を尊重しながら、戦争という状況の中で展開が変わっていきます。 この2等兵を生きて故郷に帰すこと。このことが狂ったこの戦争の中でミラー中隊長にどのように映ったのか。それぞれの部下の活動とキャラクターを含めたストーリー展開の中で、少ない人数と弾薬でドイツ軍の侵攻をくい止める作戦の指揮をとる事になります。 単なる打算的な考えにおいて、8名の命の危険と1名の命とを比べるだけなら割が合いません。大量の兵士が命を落とし負傷していく戦争の中で一人の兵士を救い母親の元に帰還させる事の意味合い。この映画の「心」は生きるという事の意味、価値の部分でしょう。 冒頭でもお伝えしましたが、それにはまず「生きる」という事の価値観が明確になっていなければ、正しい答えを望む事はできないでありましょうし、自分自身の人生という航海は困難を極めるでしょう。 良き価値観の先は良き場所へ、悪しき価値観であれば悪しき場所へ、簡単ではありますが重要な事です。その価値観は人の「生き様」としても現れます。 さて、ミラー中隊長の生き様を見るライアン2等兵は、「生きること」の価値観をどのように捉えたのでしょうか。 映画ではそのことは描かれません。そのことはストーリーとしてはあまり重要ではないのです。 なぜならそれは映画を見るあなたに問わねばならぬ内容だからです。 推薦映画特集2「シン・レッド・ライン」に続きます。 |
[ホームページへ戻る]