■日本の心を美しくする 今月の当会推薦映画



映画『シン・レッド・ライン』  〜人間が死ぬということ〜

公開:1999年日本公開、テレンス・マリック監督
出演:ショーン・ペン、ジョン・トラボルタ、ニック・ノルティ
1999年ベネチア国際映画祭グランプリ受賞作品

推薦者:黒岩宏光



■Thin red line〜薄く赤い線

「おまえはもうすぐ死ぬ」
「貴様も、貴様も、いつか死ぬんだよ!・・・・・・」


太平洋戦争、ガダルカナル島で210高地を奪取するため壮絶な戦いを極めた後、アメリカ兵と捕虜となった日本兵が罵り合います。

憎しみ、恐怖、狂気、殺人、出世欲、愛、不信、責任、生、死、大自然、神。

シン・レッド・ライン(Thin red line)とは、正気と狂気を隔て存在する薄く赤い線のことだそうです。
戦場で兵士達の1m先に待つものは「死」、肉体の生と死を分ける線上にあるもの<心の中にある正気と狂気>そこには何が存在するのでしょうか。


■難解な哲学映画

不思議な映画であります。

この映画にはストーリーがありません。
いや、しっかりとしたストーリーがあります。1942年、南太平洋ソロモン諸島、ガダルカナル島での日本軍との攻防を描き、「プライベートライアン」に引けをとらないスリルと迫力あふれる、一大戦争映画巨編であります。しかし、明確なストーリーというものは鮮明でなく、あまり意味を持っていないように感ずるわけであります。

「復活を待っていた」とスピルバーグ監督が祝福したほど、26年の沈黙を破りメガホンをとったテレンス・マリック監督ですが、この監督の経歴は、ハーバード大学哲学科卒業後、MITで哲学を教えていたということで、なるほどこの映画が哲学的でポエジーであることが理解できます。

「プライベートライアン」にあるような娯楽性、エンターテイメント性を期待して見るものには、この3時間にも及ぶ時間は長く退屈な(^^;)ものとなりましょう。場合によっては、さっぱり内容が理解できないという場合もあり得ます。
いやしかし、その内容の質は、深くとても含みがあり、文学性を求めるものにはとても面白い内容であるといっていいでしょう。

ちなみにこの映画は1999年のアカデミー賞に作品賞を含む7部門にノミネートされましたが、惜しくもオスカーは逃しました。


■あらすじ〜モノローグの中で

鬱蒼とした大自然、原色の鳥たち、青い海と空、大自然の営みを背景にこの物語は淡々と進みます。

隊を離れた落ちこぼれの兵士、唯物的な曹長、出世の鬼のような上官、部下の生命をかばい上官の命令に従わない小隊長、祖国の妻を気にかける兵士、生と死の境目にあるそれぞれの兵士の思いとともに、まだ見ぬ恐ろしき日本軍との熾烈な戦いに臨みます。

高地での生々しい戦闘シーンの迫力は決して「プライベート・ライアン」のオマハ・ビーチ上陸戦のシーンに引けを取りません。戦争の恐ろしさ、戦場の緊迫感を伺い知る映像度は特級品です。

しかし、この映画の特色は、そのような状況の中でそれぞれの兵士達が、過去を回想したり自問自答し、このモノローグのなかで人生を考えながら進むのです。哲学の域といってもいいでしょう。絶対的な存在として映し出される熱帯の大自然も重要なエレメントとしてこの映画には不可欠です。

凄惨な激戦の後、日本軍のトーチカを粉砕し、高地を奪還した後、殺され、捕虜にされていく哀れな日本兵を映すシーンがあります。
「おまえはもうすぐ死ぬ」、「貴様もいつか死ぬ」――米兵と日本兵は互いに憎しみをぶつけ合いますが、この米兵が後ほどこの言葉を思い出し、頭を抱えるシーンがあります。自分もやがて死ぬ――それはこの狂気の戦争の中<薄く赤い線上>にあって、そのことが明日訪れることかも知れないのです。

それらを目の前にし、この兵士達は、生存することというよりは、「死」を前にした人生観を哲学しているという印象を受けます。


■生と死からの人生観

ほぼ同時期に2人の一流監督がどちらも戦争映画のメガホンをとりました。偶然なことでしょうか。多大な影響力を持つ大監督のグローバルなインスピレーションは、監督が意識するしないに関わらず、その作品に時代性を含めたメッセージという背景が介在しないはずはありません。

「プライベート・ライアン」が「生きること」の意味、価値観を問う内容であるならば、この映画は人間が「死」ということを目の前にし、人間の人生観、世界観を問う内容ではないでしょうか。

どちらも重要でありますが普段あまり考えない内容であります。戦争のない今の世の中では、挫折や病気、失業や失恋でもない限り人生についてあまり考える機会はないかも知れません。(笑)

日々の営業成績や明日の会議、テストの成績や塾での順位、忙しい毎日の中で生活する私たちは、哲学的な領域を持つことは確かに難しいことでありましょう。しかし、これらの映画を見ることによって擬似的な哲学空間を味わえるとしたら、決して3時間の映画を見る時間は長くはないと思います。


――いつもと変わらない大自然の姿、海とたわむれる子供達、砂浜に佇むヤシの実を映しながら、この難解な映画は私たちに問題集でも手渡すかのように静かに幕を閉じるのであります。







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