「石原都政1年 石原思想の源流を探る」
記者:張替一彰(当会論説委員長)
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■見事な政治手腕
石原慎太郎氏が都民からの圧倒的な支持を得て東京都知事となってから、ちょうど1年が過ぎた。各種メディアにおいても、石原都政1年を振り返る内容のものが数多くでてきている。JMINDにおいても、独自の視点で石原都政を評価していきたいと思う。 大手金融機関への外形標準課税導入、債券市場創設、ディーゼル車規制、米軍横田基地の軍民共用化と羽田空港の国際化、部長級職員の抜擢人事、30年間凍結されてきた東京外環の建設促進、都立高校の学区制撤廃、受験学区の自由化、職員給与の四%削減、都営住宅の新規着工中止などなど、この1年で石原都政が打ち出してきた政策は多種多様であり、「東京から日本を変える」というスローガン通りに、青島幸男前知事に比べ格段の実行力を示した。その一方で、「三国人」発言に代表されるような、歯に衣着せぬ発言が波紋を広げた面もある。 東京都政において、もっとも重要なポイントは財政再建であるが、そのためには、2003年度までの四年間で一般財源をベースに歳出を四千億円圧縮する財政再建推進プランの達成が重要である。就任直後から「都民に痛みを伴う財政再建への協力を求めるなら、自らも痛みを受けなければならない」と言い続けた知事は、労使交渉に自ら乗り出し、昨年十一月、二年間にわたって給与を四%削減することで妥結した。青島幸男前知事時代には、財政再建を目指した手数料や利用料値上げ案の大半を都議会で否決されたが、今回は給与削減を先に打ち出したことで、老人医療費助成や老人福祉手当の段階的廃止など福祉予算の大幅な見直しに踏み込むことができたともいえる。 さらに、予算案を審議する二月都議会を前に発表した大手金融機関への外形標準課税導入は、マスコミを含め、社会に大きなインパクトを与えた。公平性に問題が残るとはいえ、税制論議を正面に据えず、あっさり成立。その裏側で、予算案が修正されることもなかった。役人、銀行といった現在、世間受けの悪い職種を狙い撃ちし、都民からの圧倒的な支持を受けた上で、緊縮予算を成立させた政治手腕は見事なものといえよう。 ■石原氏と法華経
無論、その強引ともいえる剛腕な政治手法を、大衆迎合型のポピュリズムであると批判されたり、手続きに時間をかけ、幅広くコンセンサスを得ようとする民主主義を軽視する専制君主政治とも批判されることも多い。しかしながら、旧態依然とし、硬直した保守的状態を打ち破るには、そのような一気に壁を打ち破るような力やスピードが必要とされることもあろう。日本人のムラ社会的意識から判断すると、秩序を乱す異端児として排斥されがちであるが、改革者であらんとする限り、そのような批判はむしろ、勲章として喜んで受けるべきものではないだろうか。ただ、その際に、真の改革者として英雄になるか、末路が哀れな独裁者となるかは紙一重の状況である。多くの人の幸福のために創造的破壊を行ない続けて行くには、改革者自身の心の方向性が大切であろう。心の針が単なる自我の拡張欲を満たす方向に向いているか、多くの人々の最大幸福を考える方向のどちらに向いているかを厳しく問われる必要がある。 石原慎太郎氏は昨年、法華経に関する書物を出版していることからわかるように、霊友会に入会している熱烈な法華行者でもある。歴史上、法華教を心棒する革命家はニ・ニ六事件の"北一輝"を始め、満州事変を指揮した"石原莞爾"や五・一五事件の黒幕となった"井上日召"など国家転覆を謀るクーデターを先導する危険な人物が多かったといえる。 法華経はそもそも紀元前後から12世紀にかけて西北の狂信的なカルト集団によって成立した経緯がある。彼らは法華経の原型にあたる特殊な教えを信仰し、その教えを広げることに協力するものは、すべての苦しみを逃れ、病気もならず、火にも焼けず、水にも溺れないといった極端な活動を展開した。その結果、既成の仏教集団から非難の声があがりはじめると、今度は法難と呼び、ますます結束を高めていったという。この法華経至上主義と国家主義が結びつくと、他者への激しい攻撃性と手段を選ばぬ反社会性となってあらわれ、ニ・ニ六事件や五・一五事件などの非常に危険な状況を引き起こすことが歴史上、明らかである。最近の「三国人」発言などを聞くにつれ、もともと国家主義的な色彩の強い石原知事の基本的なパーソナリティを再確認した。独裁制はポピュリズムをベースとした民主主義から発生しており、その種の恐れを警告するマスコミ側にも一理ある。 ■衆智を集めた宗教政治家たれ!! しかしながら、法華経信仰者の中にも、宮沢賢治、石橋湛山や土光敏夫のような優れた業績を上げた方々もいる。石橋湛山は昭和初期において軍部批判を一貫して行なった気骨のあるジャーナリストであり、その後、内閣総理大臣にまでなった人である。特に満州事変や五・一五事件をジャーナリスト時代に徹底的に批判をした。同じ法華経を信仰していながら、驚くべきことに、全く180度違う行動結果となっているのである。 法華経信仰者には妥協なき強い信念と社会改革のための優れた行動力がある。この特徴は、石原氏にも通じるものがあろう。それだけに法華経信仰者がトップとなった場合、その変革の力は強烈なものとなり、大きな影響を与えることになる。その際に、もし、その方向性が違っていた場合には、大変な悲劇となろう。経典自体が含んでいる独善性、排他性といったカルト性をいかに脱することができるかがポイントとなる。石橋湛山が法華経至上主義にとらわれなかったのも、若い頃にキリスト教精神とプラグマティズム哲学を学んでいたからだとされている。 石原氏は政財官界だけでなく、文学界やマスコミ界、スポーツ界などから「青島の二〇〇〇倍の人脈」を持っていると公言して、はばからない。トップダウンというイメージが強いが、実際にはブレーンを実に巧みに使う柔軟なやり方こそが石原流だという声もある。石原氏が法華経のカルト性である排他性、独善性に陥らずに、衆智を集めることを忘れなければ、その強烈なリーダーシップと抜群の行動力をベースとした活躍が楽しみである。ぜひとも、信仰心の篤い宗教政治家として成功していただきたいと思う。 |
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