「知」へのメッセージ (からす編−前編)
記者:愛川 良樹
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■優秀なカラス
「♪カーラースーなぜ鳴くの〜 」という歌は、最近耳にすることがまれになってきました。カラスといえば最近は、都会ではゴミ収集所荒らしの常習犯として目の仇にされています。そして、この仇敵をどうしたら退治できるか、人間とカラスのし烈な戦いが繰り返されています。 鳥類の中でも知能が高いというカラスはなかなか人間の罠にはかかりません。仲間が一度かかったのを見て、学習能力の高いカラスはそうやすやすと何度もその罠にはかからないそうです。そこで、ありとあらゆる方法で撃退するアイデアが募集されたり、学者はカラスの生態系を調査して科学的な裏付けを取って対策を練ったりしているわけですが、いっこうに特効薬が見つかっていないのが現状だそうです。 ■神の使い このカラスについてあまり知られていないことがあります。文献にもあまり出ていないし、知る人ぞ知るという事柄に入ることだと思います。 それは、カラス(烏、鴉)という語源ですが、これは「気をからす:悪気(邪気)をからす(取り除く)」というところから付けられたということです。辞書などには、「人里近くの高い木などで群れをなして生活する。昔から不吉な鳥とされる。」とあります(学研現代新国語辞典より)。 「カアーカアー」と鳴いて飛んでいる所の悪気(邪気)を取り払うカラスは不吉な鳥といわれているわけです。大方の人達は恐らく不吉な鳥という認識力のもとに判断されているのではないでしょうか。 ただ見落してはいけないことであるのですが「古来、熊野の神の使いとして知られ、また、その鳴き声は不吉なものとされている。」ということも書かれている文献ものもあるということです。この熊野というのは熊野神社のことで、全国に分けられた氏神、産土神(うぶすながみ)の神社で、その数は三千社をこえるのだそうです。カラスはその神の使いでもあるということです。 その神社の神輿の上には、今でもカラスが飾り(?)としてしっかり乗せられているるのです。ただし神輿に乗っているのが神の使いであるカラスと知らずに多くの人に不吉な鳥と思われているのです。 ■成仏できないゴミ ごみ置き場やカラスが良く現れるところは、その場所がそれだけきれいではないということがいえるのです。ただ汚れているというだけでなく、残飯などは無駄にされた命ということがいえるのではないでしょうか。 食物とは元来命であり、諸々の生命体がその命を身供養した姿なのです。たかが残飯といえども捨てられた命達の無念の思いがこ込められているのではないかと思うのです。また、不要になった粗大ゴミなどの調度類達も物霊としての思いを持っているのでしょう。いわゆる仏教で言うところの“成仏”していないということになるわけです。生命を持ってこの世に存在し、自らの使命をまっとうしようとしているのに途中で不要扱いされてしまったということになるのです。ゴミにされた思いそれはつらいものがあるでしょう。 また、世界のいたるところで食料不足で餓死したりしている子供たちがいます。その国の人から見れば、「カラスや鳥の餌にでもしているではないか」と批判が出てもおかしくありません。まだ食べられるもの、まだ使えるもの、リサイクル可能なものその他雑多に捨てられてしまうのです。そんなゴミ扱いされているものが多いということです。 また、最近話題になった栃木県の産廃業者が、フィリピン・マニラ港への廃棄物不正輸出事件などは、カラスが何千羽いや何万羽いやそれ以上集まってもおかしくない状態です。2500tものゴミの性質を調べるのに20日も要し、そのゴミの性質、処理の仕方、虚偽の申請…と次から次へと真事実を聞かされるたびに、寒気がしてきます。身の毛がよだつとはこのことを言うのでしょうか。 そのようなゴミ捨て場いやゴミのある所の想念エネルギーというものの悪さは想像できるでしょう。そのようなことも悪気(邪気)にと変化し易くしているのではないでしょうか。 また、京都のとある寺社の木わだぶきの屋根板をはがすカラス達というものも、寺社の中に潜む何か悪い想念のようなものを感じとっているのかもしれません。その見えない磁場というところが、悪気または邪気といったものが漂っているか、そのような気配を感じとっているのではないでしょうか。 ■考え方で180度変わる
こういうものを本能的に敏感に察知できるカラスは、それらを除去(お払い)するためか、または注意を促がすために神の使いとして来ているのではないでしょうか。本当のところはカラスに聞かなければわかりませんが、本能的に持っているものに違いないと思えてきます。「人間は万物の霊長として許されているのにもかかわらず、すべてにおいて驕り高ぶりがひどくなり、感謝の心を忘れてしまった。何とか本来の心を取り戻してもらわねねば・・」と思うカラスは、人間が作り出した悪いモノを何とかして取り除かなければ・・と思っているかどうかは知りませんが、日々努力しているのではないでしょうか。カラスの思いが伝わってくる気がします。しかし、そのカラスを不吉な鳥として邪魔者扱いしているのが私達人間なのです。なんと皮肉な現象ではないでしょうか。 カラスは不吉な鳥どころか、神の使いとして人間に注意を与えに来ている役目もあるというふうに考えたとしたら、外見上やイメージでは不吉な鳥にしか思えませんが、我々人間の悪気(邪気)から守ってくれる正義の味方でもあったのではないでしょうか。 彼らは、ただ自分たちの使命をまっとうしようとしているのにすぎないということになるのではないかと思うのです。認識力を変えただけで180度も違うことになってしまうのです。まるっきり正反対の考え方になってくるのです。 (以上からす編−前編) |
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