「セルフヘルプのすすめ」 -知的なあなたになるために-
記者:張替一彰
|
のっけから恐縮ですが、みなさまは、山本七平の“「空気」の研究”という本を読んだことがあるでしょうか?色々な書物で、孫引きされているほど、有名な本ですので、読まれた方も多いかもしれません。この本では、色々な事例を挙げながら、日本人がいかに「空気」に支配されやすい民族であるかということが書かれています。ここでいう「空気」とは、筆者にして、「空気」としか、いわくいい難いものであるとしておりますが、簡単に私の言葉で言えば、「その場の雰囲気」ということになるかと思います。要するに、日本人はその場の雰囲気に左右されやすい民族であるということを明確に喝破した書物と言えます。 ここで、この書物を紹介したのは、現在においても、この「雰囲気に左右されやすい」という日本人の性質に変わりがないだけでなく、その性質が非常に現在の日本のボトルネックとなっており、ある意味で大変、危険な状態を引き起こすことになりかねないと思われるからです。 昨今において、中学生の引き起こした殺人事件に端を発して、中学生の教育問題が非常に騒がれました。マスコミはここぞとばかりに文部省や学校、先生を叩き、いかに現在の子供たちが危険な状態であるかということを煽りたてていたことは記憶に新しいかと思います。しかし、本当に急に今になってそのような“キレル”子供たちが突然、発生したのでしょうか。 「今は昔と違って、普通のおとなしい子がいきなり“キレル”ので、非常に恐ろしい」などという匿名の先生のコメントが週刊誌にまことしやかに掲載されていたりします。しかし、よくよく考えてみると、そのコメントは単なる一個人の主観的感想にしか過ぎず、もっと言えば誘導されたのかも知れず、信憑性があることすらわかりません。また、そのような時には、普通なら、絶対に記事にされないような小さな事件ですら、中学生が起こしたとなると、それ見たことかと続けざまに掲載します。 しかし、はたと思い起こせば、自分たちが中学生だった時にも、事の大小の違いはあれ、不良に限らず、似たような問題を起こす生徒の一人や二人は学校にいたことに気が付きます。学校教育にしても、自分達が受けていた場合とそれほど、大きな差はないはずです。 そうであるにもかかわらず、一旦、先のようなコメントや事例、芸能人のにわか評論を週刊誌やスポーツ新聞、ワイドショーなどで繰り返し見聞するだけで、あたかもそれがいままで隠され続けた真実で、何か中学生が特別に危険な状況に置かれており、場合によっては、中学生に対して底知れぬ恐怖を感じさせ、それらは全て国家や学校の責任であるという「空気」が醸しだされてくるから不思議です。現に、皆様から寄せられたこのホームページに対するご要望にも、その時期には、教育問題に関するものが非常に大きかったと言えます。さらに恐ろしいことに、それに対して、すぐにでも政治家なり文部省が反応することです。しかも、その反応も例えば、「心の教育の必要性を検討」などという曖昧な耳触りの良い言葉で対応すれば、許されてしまう程度のものなのです。後は、数ヶ月も立てば、マスコミも騒がなくなり、世間も忘れ、数年後に中身のない形式的な報告書が、時の大臣に恭しく提出されて終わります。 それは、最近、騒がれだした自殺ブームとか、大失業時代とかいうケースも全く一緒であると言えると思います。 「心の教育」問題ということであれば、それは、戦後、学校における宗教教育を禁止した時から発生しているものであり、いまさら騒ぐ問題ではありません。むしろ、今まで、問題になってこなかったこと自体が問題でしょう。それにもかかわらず、何百万人もいるであろう中学生のわずか数人が起こした事件に端を発し、マスコミに煽動されて作り出された「空気」によって、日本全体が支配され、空騒ぎし、政府や学校に責任を押し付け、挙げ句の果てに、おざなりの対応で満足してしまうのです。 昔のムラ社会であれば、村で醸成される「空気」といっても、昔からの村の伝統に基づいたものであり、村を自治する上で、非常に重要な役割を担っていたと思います。しかし、現在、この「空気」は、マスコミのモラルなき欲得主義、サド的体質が根底にある底の浅い“ヒューマニズム”によって、意図的に作り出されているところが非常に危険だと思います。一見、不思議なことですが、独裁政というものは、民主主義から生まれます。民主主義が成功する前提として、個々の市民が健全な判断基準を持つ良民であることが必要されます。この部分がすっぽりと欠けた時に、民主主義は衆愚政に堕し、やがては、耳触りの良い独裁者のプロパガンダに支配されてしまいます。 まさしく、ヒトラーが登場したケースと全く同じ状態です。現在の日本では、皮肉なことに、反権力であるマスコミ自体が独裁者となっています。インターネットなどの普及やマスコミ同士の共食いなどにより、その牙城の一角が崩れつつあるとはいえ、その影響力は今だに絶大なものがあり、政治家、官僚、大企業と言えでも、対抗することは容易ではありません。政治家などは逆にいかにマスコミ受けするかということばかり考え、行動します。ましてや、個人が狙われれば、サリンの容疑者にしたてられた河野さんのように、ほぼ社会的に抹殺された状態に近い事態となります。 そのために重要なことは、大変、地道なことではありますが、マスコミに翻弄されることなく、自ら物を考えることができる良識ある人々を増やしていかなければなりません。そのためには、“セルフヘルプの精神”を大切にすることだと思います。かって、イギリスが大英帝国を誇り、繁栄した時代に、その精神的支えとなった書物がありました。それこそが、スマイルズが書いた「自助論」でした。この本は、明治の文明の開化の時も、福沢諭吉の「学問のすすめ」とともに、ベストセラーとなった書物でもあり、近代日本の精神的礎となったものです。「自助論」では、過去の色々な人々のエピソードを紹介しながら、いかに自助努力、勤勉さが大切さであるかが説かれています。そして、現在の日本で、もっとも必要とされるのが、知的側面でのセルフヘルプの精神ではないかと思います。マスコミの浅薄な報道に惑わされないためには、自分たち一人一人が一定レベルの教養を身につけるために勤勉に自助努力し、情報を鵜呑みすることなく、考える習慣を身につけることが大切です。そのためには、世界の良書を読み続け、静かに思索する時間を努力してとる必要があります。うまずたゆまず努力していくことで、雰囲気に流され、思考停止することなく、自らの判断基準で物を考え、行動できるようになります。たとえ、問題が発生した場合も、まずは個々人の責任に帰着して考えることができます。先の教育問題にしても、まず責任があるのは、事件を起こした中学生自身であり、その親であることは明確です。政府や学校に安易に責任を転嫁し、総懺悔状態になるのではなく、まずは個人責任が厳しく問われることが大事なことです。その上で、中長期的な観点で全体責任を考えていく必要があります。 知は力であり、知は我々に自由を与えてくれます。内的自由を獲得することで、幸福の基準が外ではなく、自分の内にできます。知力は鍛えれば、鍛えるほど強くなっていくと思います。読書力や考察力、インスピレーションを受ける力も限りなく、発展していきます。そして、やがては自助努力の結果ではなく、本当は自助努力すること自体が限りない幸福の源泉となっていることに気付くかもしれません。それは、禅でいう「見性」という悟りにつながり、修道院で得られるという「ピークエクスペアリアンス(小恍惚感)」につながるものだと思います。まずは、1000冊の良書を読み、静かに思索にふける習慣を身に付けていきませんか?そのような人が増えれば増えるほど、日本は知性や精神的側面においても世界のリーダーとしての役割を担っていくことができると思います。お互いに頑張って切磋琢磨してまいりましょう。 |
[ホームページへ戻る]