■人類は万物の霊長か
今回は、多くの方が疑うということのなかった「人類は万物の霊長である」という点に焦点を当ててみたいと思います。京セラを興した稲盛氏の最新刊「哲学」の中で、「人類は万物の霊長である」ということを彼が何度も述べています。
しかしながら、20世紀は「戦争と革命の世紀」であったと言われているように、21世紀に入ってからも、紛争は無くなりそうにありません。それ以上に、昨年の9月に起こったテロ事件は今までとは違った形の殺戮が起こったと言っても良いでしょう。
明確な資料に基づいて色々な出来事を調べることが出来るこの数千年の歴史を眺めてみても、人類が戦争や紛争といった争い事なしに平和に過ごした期間の方が少なかったと言えます。肌の色が違うから、宗教的な基盤が違うから等といったことを理由に相手を理解しようとするのではなく、問答無用的に簡単に人を殺戮する行為を繰り返してきた人類という存在は本当に万物の霊長と言えるのでしょうか。はなはだ疑問に思えるのです。
アフガニスタンという国では、米軍の攻撃で国土が破壊されています。数多くの難民が発生し、飢えと寒さと怪我と病気に悩まされています。ソ連軍による国土の破壊から回復する途上で再びダメージを受けています。多くの民間人がささやかな復興支援をしてのも今回の米軍の攻撃で失われてしまったようです。NHKが協力して作った放送局も大きな被害を受けたようですし、再び日本に復興支援を求めるような状況になっているようです。
人類は生きていくのに不可欠な、水も空気も自分たちが作り出したものではないことを忘れ、水や空気を大切にするという気持ちはなく、己の欲望を満たすために、水と空気を汚し続けてきたのです。自分たちが苦労して作り出したものではないために、いつもどのような世の中になっても、きれいで安全な水と空気は無尽蔵にあると信じ切っていたように思われます。清流がドブ川となって初めて清流のありがたさに気づき、一日も青空が見えないような曇天ばかりの状態になってことの重要さに気づくという我々人間は霊長と言えるのでしょうか。
弱肉強食と言われる動物の世界では、満腹になったライオンは獲物を見向きもしないと言われています。そこには一定の節度が働いているように見えます。一方、人類は一人の人が数百万人の命を奪ったという歴史が繰り返し行われてきました。
人は何か自分が良いことをしたと思った時には他人から賞賛してもらいたくなり、他人が認めてくれないと、がっかりしたり、無理矢理人に認めさせようという行動に出たりします。野に咲く花は誰に認められなくとも、その時期が来ればきれいな花を咲かせます。人間が色々と注目をしようがしれいまいが、そのようなこととは関係なしに、己の役割を淡々と演じているように見えます。花と会話することが出来たなら、もっと私の美しさを賞賛してねと言うのかも知れませんが…。
人間以外の諸々の生き物は己の役割を常に全力で果たそうとしているように見えます。一方、人間様は会社がつぶれたと言って前途を悲観して自殺をしたり、会社の業績が悪くなったからという理由で、自分の経営責任は棚上げして、パート社員や臨時雇用の社員を首にしたり、食品の賞味期限のラベルを勝手に変更したりして、非常に無責任な存在であるように見えます。
このように素朴に人間様が行っている行動を冷静に分析して観ると、「人類は万物の霊長である」とは言えず、「人類は愚かさの極致である」と言うべきではないかとコラムニストとして考えたくなってしまうのですが、如何でしょうか。本HP愛読者の反論を期待します。
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