NEW! ■シリーズ「ワールド・スピリット」 世界の文化を訪ねて

今回から、ルポライターが世界の国々を実際に見聞した精神文化に的を絞った
精神文化レポートをお届けします。
今やインターネットをはじめとした技術の進歩により、国境のボーダーレス化が急速に進んでいます。
ところ変われば文化も変わります。
私たち日本とは違った文化、風習、宗教を紹介する中で、
同じ地球に住む同胞たちの生活を理解し、受け入れ、お互いを認め合う事によってこれからの平和な未来を築いていきたい
というのがこのシリーズの狙いです。
定期的に更新をしていく予定ですので、どうぞお楽しみに。

第1回 インドネシアバリ島「バロンダンスに見るバリの宇宙観」  記者:H.K
バリ島(州)データ
インドネシア共和国の1州
州都:デンパサール
人口:約300万人
面積:東京都の約2.6倍(愛媛県とほぼ同じ)
気候:年平均気温27度 雨期は10〜3月
宗教:バリヒンドゥー教

■バリ島人気の秘密
インドネシアバリ島。
首都ジャカルタのあるジャワ島から東に位置する愛媛県ほどの極小さな島である。
しかし、この小さな島は世界中の多くの人々を魅了してやまない数々の魅力を秘めている。
旅行会社の調べでも、ツーリストの間でリピーター(再び訪れる人)の数がもっとも多い場所の一つともいわれている。

何が人気の秘密であろうか。
言い古された「最後の楽園」のキャッチフレーズに現される南海のリゾートというだけの遊び心の理由であろうか。5星クラスのスーパーホテルが軒を連ねる、国家プロジェクトとして造成されたヌサドァビーチや古くから親しまれているクタ、サヌールといったビーチリゾート。アロマテラピー、タラソテラピーといったエステやバリ式マッサージのサロンは今の若い女性に大人気のスポットである。
しかしこのような楽園的な観点ではなく、記者は「神々と芸術の島」といわれるようにその神秘性、精神性の中に人気の秘密を垣間見るのである。

■神々の島
バリ島が神々の島といわれる由縁は、島にすむ人々の宗教心豊かな日常と、バリヒンドゥー教による日々行われる祭祀に由縁する。世界の国々の中でもバリ島ほど祭りの多い島はないといわれている。
バリには山岳地にウブドゥという芸術と芸能の村がある。
霊場ブサキ寺院を中腹に懐くバリ最高峰アグン山を臨むのどかな田園風景とライステラス。日夜、伝統芸能とガムランの神秘的な演奏が王宮跡などで繰り広げられている。
また、伝統的なバリ式絵画といわれる宗教絵画も有名である。その他、ティルタ・サリ楽団(※1)のような世界巡業を行うガムラン演奏団もこの地を拠点として活動している。

ハイスピリチュアルな場所ともいわれ、メディテーションルーム(瞑想室)を備えたホテルも多く見かけられる。
この地の雰囲気と芸術、芸能の数々は世界中の多くの芸術家を魅了し続け、毎年のようにこの地を訪れる芸術家や音楽家も多い。この純朴な雰囲気にマッチしたシンプルで優雅な高級リゾートホテル(アマンダリ、クプクプバロン、ピタマハなどが有名。特にアマンダリはバリのリゾートホテルの概念を変えたといわれるほど美しく有名なホテル。圧巻は谷底へ流れ落ちるかのように設計されたプールのデザインは当時のホテル関係者とツーリストを驚嘆させた。その後、多くのホテルがこのプールのデザインを模倣し多大な影響を与えることとなった。)も多く、日本からも著名な音楽家、芸術家も常連客として名を連ねているようである。

※1:ティルタ・サリ楽団 97年8月東京としまえんに於いて、バリフェスタ97として1ヶ月間にわたる長期公演を行い日本でもお馴染みになった。JVCビクターよりCDも発売されている。「幻視と瞑想のガムラン」VICG−5024/「絢爛と超絶のガムラン」VICG−5215

■バリの文化と宗教
さて、このバリの文化及び宗教だが、インドネシア全体ではイスラム教が9割を占めるのに対し、不思議なことにこの島だけがバリヒンドゥー教(インドのヒンドゥー教とはスタイルが少し異なる)なのである。

町を歩くと、神聖霊に捧ぐ「チャナン」という椰子の葉で編んだカラフルな供え物を至る所で目にし、民家の玄関、神社、寺、ホテルのゲートなど町の至る所に、バリの風物詩ともいわれる「割門」といわれる門が設置されている。この門の役割は「悪霊を通さない」といわれる神聖なる門である。
このように庶民の日常から、「霊」というようなあの世的な考えと切っても切れない日常に彼らは生活しているのである。 そして、何といっても神仏を奉る儀式(祭祀)の多さである。

その中で繰り広げられる数々のダンス。今では観光客用にアレンジされショー化されたダンスも多いが、そのエッセンスは十分に堪能できる。中でも宮殿舞踏として有名な「レゴンダンス」。その美しさは特筆物である。青銅打楽器のオ−ケストラといわれるガムランの独特な調べにのり、煌びやかな豪華絢爛の衣装で踊る美しい少女の(美しくない場合もある)目映い姿は、見る物を非現実の世界へとトリップさせてしまうほどの不思議な感覚に包まれる。
ピカチュー光線の目映さは、5000人の子供たちを病院送りにしたが、このレゴンダンスの目映さは見る者を極楽へと誘う。
男性アカペラコーラスで「ケチャケチャ」と歌う「ケチャックダンス」も特に有名だが、聖獣バロンと悪女ランダの果てしない戦いを繰り広げる、日本の獅子舞に似た「バロンダンス」も見事である。

■バロンダンスと2元論
ここでバロンダンスの中から彼ら民族の宇宙観を学んでみたいと思う。
バロンダンスは正式にはチャロナラン(Calonarang)といい、観光客用に短くアレンジされたものがバロンダンス(Barong Dance)といわれている。
聖獣バロンと悪女ランダの果てしない戦いを繰り広げ、最後はどちらも決着が付かないままエンディングを迎える。「ウルトラマン」や「水戸黄門」を見て育った、勧善懲悪の思想が定着している日本人が見ると、何かすっきりしない結末のドラマである。

この世は昼と夜、善と悪、生と死といったように相対峙する力の拮抗によって成り立ってるという二元論の考えを舞踏劇の中で表現している。これが、彼らバリ民族の根本的な思想であり、その宇宙観の中で彼らは生きている。
然るにバロンとランダの決着は付かないという、古きにしてなかなか見る者の予想を裏切る結末を提示し、余韻を残す後味の悪い?芸能舞踏なのである。

余談ではあるが、太古の昔、このインドネシアの地を中心として「ムー」という大陸があり、その地で「エスカレント(ゾロアスター)」という名の指導者が善悪の2言論を説いたという話を聞いたことがあるがその名残なのだろうか。
そしてまた、この場所が聖域といわれてるルーツなのであろうか。

■魂−心−肉体
私たちは確かにこの2元論的空間の中に存在している。このことは事実である。
不況や経済不安、天変地異の危惧などの世紀末的状況の今、「心の時代」といわれて久しい。雑誌のアンケートで、あの世や霊魂、天国と地獄といったような精神的な世界を信じるかという問いに、「信じる」という人々が最近増えてきたそうである。今この考え方で、心(魂)と体、肉体と精神とを考えてバロンダンスを見てみたい。

「魂」−「心」−「肉」を一緒に考えるのではなく、区分識別してみるのである。
肉体は肉体的な欲求が伴う。疲れれば眠くなる。腹が空けばおいしい物を食べたくなる。性欲や、名誉欲など肉体を元にした欲(煩悩)が発生する。髪の毛が伸びるように、ひげが伸びるように切っても剃ってもまたのびてくるのである。
しかし「魂」の世界ではこのような限界は何もない。魂の世界では思ったら即、自分の思いのままの世界といわれている。何もかも思いのままの世界であれば自分と他人の間に比較する物は何も出ず、肉体を元にして起こりうる煩悩とは無縁の聖域であろう。

私たちの「心(想い、考え方)」がもし「肉」の方向に向いたら、私たちは獣(けだもの)として生きることになる。自分勝手に生活し、欲しい物は何でも手に入れたいと思い、むさぼるだけむさぼり他人のことは考えず自己保存のみの生き方になるだろう。
それでは、「心」が「魂」の方向のみに向けばいいのか。一見良さそうだが、これも間違いである。私たちは理想的なことばかりのたまい、何もせず木の上にぶら下がる怠け者になるだろう。世捨て人となって他を嘲り、孤独の人となるだろう。
この世にてけだものを取るか怠け者になるか。どちらも嫌である。
私たちの「心」にてバランスを取り、美しい三角形を作ることこそ私たちの勤めであるのではないか。

仏像の合掌の姿は胸の前で美しい正三角形を描いている。「魂」「肉」の「心」による正しきバランスを心掛けよといわんばかりに、このことを象徴しているようである。

とにかくこの地は、このようにいろいろと物思いに更けさせてくれる不思議な場所であることは間違いない。
世界の観光地の中でも記者おすすめの場所である。


次回は、アイルランド「ケルトスパイラル〜ケルト民族の転生輪廻観」を予定しています。


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