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「ワールド・スピリット」ヨーロッパ編の途中ですが、今回は予定を変更いたしまして、当コーナー初の女性記者からの(当会スタッフですが^^;)番外投稿編をお送りします。 「エジプト」は私もまだ渡航経験がないので、いまだピラミッドとスフィンクスの国という程度の知識しかありません。このエジプトの精神文化を女性の視点からのレポートでお届けいたします。 |
「バクシーシ」・・・日本人にとっては聞き慣れない不思議な響きの言葉だ。しかし、エジプトを旅すると、いたる所でこの言葉に遭遇する。この言葉から開放されるのはホテルの中だけ・・といっても過言ではないほどだ。これは、簡単にいえば「お恵みを!」とか「なんかちょうだい。」である。 イスラームの世界では「富める者は貧しき者に分け与えなければならない」という精神がある。それは確かに素晴らしい精神である。しかし、これはあくまでも富める者に対して「あなたがたは自らの富を多くの貧しき人々に分け与え、その愛の心で自らも幸福になりなさい。」という教えであり、貧しき者が富める者におねだりをする権利ではない。どうもそのあたりが曖昧になって言葉だけが一人歩きをし、おねだりの風習と化しているように思えてしまう。 そのスゴさ(?)といったら「バクシーシ攻撃」という言葉が生まれるほど(誰が生んだの?)だ。 観光地ならどこへ行っても当たり前で、路地ですれ違う人々やレストランのトイレにまで「バクシーシおばさん(子供)」がいる。そう!トイレでトイレットペーパーを持ったおばさん(子供)に小銭を渡さないと、ペーパーをもらうことすらできないのである。(ちなみにイスラームの世界ではトイレでは紙を使わずに水で洗い流す。だから紙を使う人々のためにトイレットペーパーを持った人が必ずいて、「バクシーシ」の代わりに手に一巻する程度のペーパーを渡してくれる。足りない人はどうするのだろう・・・?) 中には商売上手(?)がいて、「前の人がくれたのよ」と言わんばかりに流し目でこちらを見ながら1ドル札をチラつかせたりする。そんなモノは見てないフリをしてニッコリ笑い、相場の紙幣(20〜50円程度)を渡す自分を内心「エライ!」なんて思ったりする。「バクシーシ攻撃」との戦争だ!なんて思ってしまうほどで、とても心が疲れる。小銭を作るためにずいぶん余計な買い物もしたような気がする。
エジプトの人々はとても陽気で人懐っこい。無邪気な笑顔で「アロー!」と声をかけてくる。天真爛漫に見える。そんな笑顔に一時心が和むのだが最後には必ず「バクシーシ」とくる。日本人としては「あぁ、またか・・・。人間不信に陥りそう・・・。」なんて思ってしまうのだが、彼らにとってはイスラームの教えの通りにしているのだと思っているだけで、日常の習慣みたいなものなので悪気もなければ、感謝もない。幼い頃より「人様に迷惑をかけてはいけません。」「自分のことは自分でしなさい。」「感謝の心を忘れずに。」と教えられて育った私には、どうも理解できず釈然としない。自分はケチなんだろうか、と不安になったりする。しかし・・・。 小さな子供たちが絨毯を織っている町工場に行った。小さな指で織られる絨毯は大人が織る物よりもキメが細かいので高く売れるのだという。大きな目をしたとてもかわいいエジプトの子供たち。私たちの訪問を笑顔で迎えてくれた。年齢は5〜8歳ぐらいと思われる。 その中のひと際かわいい目をした女の子が「こちらへ来い」と言う。隣に座って写真を撮れというのである。そのかわいらしさに引き込まれて一緒に写真を撮ったのだが、やっぱり出ました「バクシーシ」。仕方ないなぁと、かわいさにつられて小銭を渡すと、屈託のない笑顔で「あの子にもあげて。」と別の子を指差す。指の先を見ると別のかわいい女の子が笑顔でこちらを見ているのだ・・。 こんな小さな時から習慣となっている「バクシーシ」。 「貰う」ことが当たり前になって感謝する心を失ってしまったら、この人懐っこい明るい笑顔が見せかけのものになってしまうのではないか・・・なんて、よけいな心配さえしてしまう。 自分でできることの喜び、働くことの尊さ、身も心も豊かになろうとする向上心、そして感謝する心の美しさ・・・。そんな、日本人なら当然と感じている(だろうと思う)ことが当然のことではない世界がある。 エジプトではスマイルズの「自助論」なんて、流行らないのだろうか・・・・。 というわけで、「ピラミッド」の国「スフィンクス」の国「ファラオ」の国だと思っていたエジプトは、実は「バクシーシ」の国であった。 番外投稿編エジプト2に続く |
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