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「お城」と聞いてイメージする美しく豪華で気品ある姿と、要塞的な機能と立地条件を兼ね備えた姿形として思い描く、夢想的なイメージをそのまま現実化した「お城」がこのお城と呼んでいいのではないかと思います。 このお城を建てた背景にあったものは、王のすべてを支配した「ワグナーの音楽」によるものでした。 |
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■ジグソーパズルの城
私が初めて日本以外の国、ドイツという国に興味を持ちだしたのは小学生低学年の頃で、あることがきっかけでこの国に強い憧れを持つようになった。あることというのはジグソーパズルを近所のおばさんからいただいたことなのだが、1000ピースぐらいあったそのパズルは、小学生のレベルとしては1週間ぐらいかかるなかなか骨の折れる作業であったと記憶している。途中放棄してしまっても良かったのだが、当時の私はなんとしても完成させパネルにして部屋に飾りたいという思いで、子供ながらに男の意地と執念でやっとの思いで完成させたことを記憶している。 そのジグソーパズルの完成図は自分が初めて目にする世にも美しいお城の写真であり、まさに「お城」とはこの城のことをいうのだといわんばかりの超然とした佇まいは、山の上の断崖絶壁にあるロケーションと相まって、とてもこの世の中に存在しているものとは思えない美しさであった。 この城とは、ご存じ「白鳥の城」の異名をとる、ドイツの「ノイシュバンシュタイン城」のことである。 その後、機会があれば是非実物をこの目で見てみたいと思いながら、どういう訳かヨーロッパには何度も行く機会がありながら、なぜか一度もドイツに行く機会に恵まれず、いまだにこのころの思いは遂げていないのである。 ■「ワグネリアン」ルードヴィッヒ2世 さて、このノイシュバンシュタイン城だが、一見中世の時代に建てられたような外見であるが、実はもっと後の1869年に建築が開始されている。時のバイエルン王ルードヴィッヒ2世により、中世ヨーロッパの城を再現する形で建築されたのである。 山の上の断崖絶壁にそびえる姿も、当時の軍事的情勢では城に要塞的な機能はもはや必要のない時代であったのだが、それらしく見せるためにわざわざこのような場所を選んで建てられたというわけである。
さてすこし、このお城をお建てになった王様の話題に触れたい。父王マクシミリアン2世の死後、わずか18歳で即位したルードヴィッヒ2世が初めて下した命令は、彼が尊敬して止まない音楽家「ワグナー」を捜し出すことだった。国の政治とは全く関係のない個人的趣味による命令である。 190cmを超える長身と甘いマスク、ルードヴィッヒ2世は幼い頃から「ワグナー」の天才的な音楽理論を理解し、15歳の時オペラ「ローエングリン」を鑑賞し、その歌詞をすべて暗記するほどの「ワグネリアン」といわれるほどの熱狂的ファンであったそうである。ワグナーの音楽に心酔し,傾倒した王にとってこの音楽家は、カリスマ的な崇拝するに値する存在だったのであろう。 何が、王をここまで心酔させたのか──確かにワグナーの音楽には人々を酔わせるような刺激と情熱に溢れている。 火を噴くロケット弾に機関銃、大編隊の米武装ヘリコプターがゲームのような感覚で、ベトナムの小村を火の海にし破壊する。大音量のラウドスピーカーから流れる音楽は、ワグナーの「ワルキューレの騎行」──ご存じフランシス・F・コッポラ監督の「地獄の黙示録」でもワグナーの音楽は心理揺動作戦として使われており、音楽とともに忘れられないぐらい強烈なシーンとして印象に残っている。 私も今、BGMにワグナーの音楽を聞きながらこの原稿を書いているが、確かにこの官能的ともいえる躍動感はただものではないことは誰もが認めるところと思う。「自分を中心として地球は回る」とまで宣っていたとされる唯我独尊的なワグナーだが、そのような強烈な個性から発せられる「魔力」ともいえる何かがあるようである。 さて、なぜ王がワグナーを「探し出せ」と命令を下したかというと、今では大作曲家として学校の音楽室に肖像画が飾られるワグナーであるが、当時は多大の借金や女性スキャンダル、革命運動の危険分子と見なされるなどの理由により、ヨーロッパの国々を逃げるように転々としており、この当時は住所不定の放浪生活を送っていたのである。 ドイツのシュトットガルトで発見されたワグナーはその後、この国王によって保護され、借金はすべてチャラにしてもらい、ミュンヘンに豪邸を与えられ、彼のためにワグナー音楽院やオペラハウスなども建設するほどに手厚い好待遇を施されたのである。 その後、この贔屓ぶりは多くの市民の反感や、ワグナー自身に対する非難などと相まって政治的、国家的な問題へと発展し、ついには1856年にミュンヘンを追放され、王との仲を引き裂かれるのだが、水面下で密かな資金援助や手紙のやりとりなど、この二人の交流は、彼が死ぬまでの20年間に渡り続いたといわれている。 ■王の謎の死 さて、ノイシュバンシュタイン城であるが、同性愛者だったともいわれており、国政を司るほどの知識も指導力もなかったと伝えられている国王の命令の下、1866年に工事が開始される。「ワグナーのための城」───この幻想的な城は、すべてワグナーの音楽のイメージから発し、各部屋の装飾や絵画のほとんどが、ワグナーの楽劇をモティーフとされており、もちろんこの楽劇を催す部屋も作られている。まさに彼が思い描く「夢物語の城」である。 その後1974年にもノイシュバンシュタイン城と平行してリンダーホフ城、ベルサイユ宮殿をモデルにしたといわれる大規模なヘレンキームゼ城の工事も始められ、これらの城の建築費は国の財政を圧迫し、また放蕩三昧の王の行動にも周囲の不満が募り、王は退位させられる運命になる。 政府閣僚の企みでついに王はパラノイア(妄想症)ということで拘束され、そして付き添いの医師とともに散歩に出かけた後、シュタンベルクで水死体となって発見されるという謎の最期を遂げてしまうのである。この時、ノイシュバンシュタイン城はまだ未完成であり、完成した夢の城にその主が住むことはついに無かったのである。 王の死については、自殺説、他殺説、事故説といろいろな説があるそうだが、真相は明らかでない。しかし、この話の流れでは政治的な背景において抹殺された感を強く感じるところである。当時リアルタイムで軍医としてドイツに留学していた森鴎外は「うたかたの記」にてこの王の生涯を小説にし、またビスコンティ監督も「ルードヴィッヒ 神々の黄昏」にて王の生涯を映画化している。 美しきお城の裏には、このワグナーの音楽の宇宙を彷徨い、己の夢の物語の中に一生を置いた、若き国王のドラマチックなエピソードが隠されいるのである。 ■ドイツ〜ロマンチック街道 当時は国を滅ぼすとまでいわれたこの王の贅沢な「お遊び」ともいえる趣味が、皮肉ではあるが1世紀を過ぎた今、地元バイエルン及びドイツの貴重な財産となり、世界中の旅行客で賑わう大事な観光収入源となっている。 私の友人で、新婚旅行でドイツに行ったご夫婦がおり、このお城を観光してきた話しを私が行ったことがないことをいいことに、自慢たっぷりに聞かされたことがあるが、とにかく外見もすごいが内部もすごいお城だそうである。人工の鍾乳洞まであるようで、「遊び」もここまでやれば世界遺産級になるという見本を堪能したとのことである・・・。 ドイツで人気の高い観光名所であるところの「ロマンチック街道」は、北のヴュルツブルグから始まり、全長約350kmを中世の町並みや、田園風景、アルプスの山々などの自然の演出を見ながら南の端フッセンで終わるのだが、そのフィナーレを飾るのがこのお城であり、なんといってもこのドイツロマンチック情緒の最大の演出は、いうまでもない、ワグナーに憧れた若き国王の夢物語ということになるであろう。 次回は、番外「世界遺産」編の予定です。 |
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