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「戦車で見た世界大戦」(前編)からの続きです。 「いつまで、模型という仕事で飯が食えるのだろう」 「模型作りの楽しさは何だろう」 「生活必需品ではない模型は、社会の中で、人々の心の中で、どんな役割をしているのか・・・」 田宮社長は初めの頃、模型屋という仕事の中で、常にこの疑問の答えを探求していたそうである。 ■田宮模型の仕事
「田宮模型の仕事」という本が文芸春秋社から発売されている。この本の中で、田宮模型社長、田宮俊作氏の半生が書かれ、大学卒業後、父の経営する田宮模型に入り、世界的な模型メーカーに発展させるまでの長い道のりを、当時の回想とともに描かれてる、とても面白い本である。模型ファンのみならず一読をお薦めしたい。 高校当時、父の会社が火事で全焼してしまったこと、入社当時、会社は借金だらけで、その上「プラスチックモデル」なる新しい商品がアメリカから輸入され、木製の模型を作っていた仕事が窮地に立たされたこと、まったく何のノウハウも持たずに、泣く泣くプラモデル製造をはじめたこと、金型屋の言いなりになりながら、みかん箱の上で設計図を書いて、はじめて製造した戦艦「武蔵」がさっぱり売れなかったこと、といった草創期の苦労を当時の思い出を交えながら語られる。 その後、当時人気のイラストレーター「小松崎茂」氏に社運をかけて製品の箱絵を発注したこと、スロットカーの自社生産、ミリタリーシリーズ、ウオーターラインシリーズ(戦艦などを喫水線より上をモデル化したシリーズ)の成功、ラジコンカー、ミニ4駆の大ヒットなど、この会社の発展の歴史を知ることができる。 ■アバディーン戦車博物館 中でも、この会社のクライマックスといえる出来事は、田宮社長自らが赴いたアメリカ、メリーランド州にある「アバディーン戦車博物館」での発見ではないだろうか。 それまでの田宮模型が製作する戦車のプラモデルは、写真、イラストといった資料を基に作成され、データとしては不十分なものであり、詳しい寸法や形状などはほとんど分からないのが現状だった。それが、このアバディーン博物館には、いろいろな国のあらゆる戦車が展示してあり、その憧れの実物の戦車達に遭遇した田宮社長の喜びと興奮が書かれている。模型屋のプロとして、正確な製品を作りたくても作れなかった歯がゆさを晴らすように、気が狂ったように取材をしたそうである。 リベットの数まで忠実に再現しているとまで言われた、精密な田宮のプラモデルの原点は、「取材こそ模型屋の基本」という、この博物館での経験から生まれ、その教訓を戦車が教えてくれたようである。 ■リチャード・クー氏 冒頭の田宮社長の問いかけであるが、誰しもが自分の仕事やその内容について、考えを巡らせる時があると思う。 エコノミストで有名なリチャード・クー氏は、意外なのだが大の模型ファンで、ご自分で作成したドイツ軍飛行機を写真に収め、本として出版(PHP出版「幻のドイツ空軍」)しているほどのマニアである。 この本の中でも、巻末にクー氏の解説か載せられているがその中から、この冒頭のご自分の問いかけに自らが答えるような田宮氏の言葉を、最後にご紹介したい。
普通なら、特に最近のベンチャー企業などは株式上場を目標に営業をしているものである。もちろんそれが悪いことであるはずがない。しかしながら、株式の上場や、利益追求、金儲けのみが「目標」や「結果」としてあるのではなく、企業の「目的」になってしまっては、本末転倒の話である。 そんな生き方は初めから頭になかった社長の言葉に、目から鱗が落ちたとクー氏は語るのである。 本当に好きな仕事があって、それで食べることができ、多くの人々に喜んでもらえる、そんな生き方ができる幸福な人間でなければ語ることができない重みをひしと感じるのである。 私を含め、多くの子供達が「戦車バカ」になってしまったのは、そんな精神を持つこの会社のプラモデルのせいなのである。 ![]() 付録 「戦車で見た世界大戦」 〜ドイツ第3帝国 戦車開発に賭けた恐るべき執念〜 (ご興味のある方は見て下さい) 次回の「ワールド・スピリット ヨーロッパ編」は、番外編世界の法律の予定です。 |
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