■シリーズ「ワールド・スピリット」 世界の文化を訪ねて

日本に初めて訪れた異国人はポルトガル人であり、この国の人々から大きな影響を受けているにもかかわらず、今では少し疎遠な感じがします。
まずは、フランシスコ・ザビエルの時代にさかのぼって、日本との関わり合いを見ることから始めてみましょう。

第17回 ポルトガル
「ザビエルとヤジロウ〜運命の出会い」
 記者:黒岩宏光


■大ザビエル展〜来日450周年
ポルトガルには行ったことがないので、この国について詳しいことはよくわからないのだが、先日東京の東部美術館にて「大ザビエル展」(99/6/10〜7/20)が行われ、今年で来日450周年という、日本にとって非常に深い縁のある外国人であるフランシスコ・ザビエル氏の展覧会を見ることができた。

展覧会を見終わった後、何かポルトガルに行ったようなつもりになり、ザビエル氏について何かいろいろな知識を得たような、思い上がった気分になっている。(^^;)

といいつつ、今回はこの気分がさめないうちに話を進めようと思っている。


■ポルトガル/スペイン植民地獲得合戦
展覧会では、この当時の「南蛮美術」といわれた絵画、美術品、歴史資料などの数々が展示され、当時の西洋並びに日本の文化の有様を見ることができる内容である。

スペイン1でもお伝えした、当時ローマ教皇により、世界をポルトガルとスペインの領土として(勝手に)2分したトルデシリャス条約によって、境界線の引かれた地図なども展示され、大航海時代の両国の情勢や世界事情など世界史を学ぶにもとても勉強になる内容であった。

ポルトガルという国は小国ながら、イベリア半島の端、ヨーロッパの中でも最西端に位置するといった地理的条件が幸いしてか、1498年にバスコ・ダ・ガマの東航路の開拓により新たなる繁栄の道を拓いた。 海上ルートというこの画期的な試みは、マレー半島のマラッカ、中国のマカオを拠点とした東洋貿易を確立し、胡椒,肉桂などの香辛料貿易により、この小国に莫大な富をもたらしたのである。

一方のスペインは1492年に一足先に、コロンブスによるアメリカ大陸の発見や、その後の1519年スペイン王の援助を受けたマゼランによる西回りによる東洋航路の発見などの歴史的大偉業により、このポルトガルとの黄金時代に突入するわけである。

ちょうどこの時代である。1543年に難破したポルトガルの船が日本の種子島に初めて上陸しては鉄砲を伝え、その6年後、鹿児島にフランシスコ・ザビエルがやってきたのである。この聖人の未踏の地への案内人としての大役を、日本人で初めてキリスト教の洗礼を受けたといわれる「ヤジロウ」という青年とともに日本にやってきたことはあまり知られていない。なぜなら、この青年についての詳しい文献などの資料があまりのこされていないのである。


■日本人青年ヤジロウ
フランシスコ・ザビエル氏(1506〜1552)はスペインの貴族の家に生まれ、パリ大学在学中に同友とともにイエズス会を結成し、その後、ポルトガル王ジョアン三世の援助にて、インドや東洋へ宣教の旅に赴く。その目的は、ポルトガルが征服した東洋の植民地の民に、愛の教え(キリスト教)を伝えてほしいというこの国王の命を受けてのことである。

インドでの布教活動の後、聖人はマラッカに向かうことになる。このマラッカ行きは、突然の神の啓示によるものだそうである。
このマラッカ滞在の際にヤジロウとベルナルド(聖霊名で本名は不明)という鹿児島出身の日本人青年と運命的ともいえる出会いをすることになる。

このヤジロウという日本人青年だが、罪人でポルトガル船に乗りマラッカに逃亡し、殺人を犯した自らの罪深さに悩み、苦しみの中にあったとき、この地に滞在中の聖人ザビエル氏の噂を聞き彼の教会を訪ね、救いを求めたという。聖人はこの罪人の懺悔を受け入れ、許し、迷える心を癒したそうである。

その後、ヤジロウはこの聖人を慕うようになり、ザビエル氏もこの日本人青年を弟子としてこよなく愛され、この青年から聞く日本という国の話に、驚きと喜びをもって話を聞くようになり、この国への興味が猛然と湧き、聖人の心は日本への思いでいっぱいになっていった。

もともと、ポルトガルの植民地への布教を目的としていたため、この日本への渡航は構想外だったのだが、いつしか聖人は、まだ見ぬこの極東の地に命をかけて赴くことを運命的に決意したそうである。
このときの決意のほどを手紙にしたため、ヨーロッパに送っている。

「ヤジロウは、幾多の困難を乗り越えて、はるばるその国からこうして私に会いに来た。これは神が私にその国へ行くことをお命じになっているからにちがいない。神は私に今度はポルトガルの植民地という境を超えて布教することを望んでおられるのだ」(「ザビエルを連れてきた男」梅北道夫著新潮選書より)

見返りを求めることなく自らの命をも顧みず、神のしもべとしての使命を果たすべく、日本伝道を決意された聖人の意志は固かった。その片腕となれるよう、ヤジロウはキリストの教えを熱心に学び、聖人もまた彼を教え指導した。そして、ヤジロウはインドのゴアの大聖堂において、喜びにあふれる師ザビエル氏の目の前で大司教より洗礼を受けた。聖霊名は「パウロ・デ・サンタ・フェ」、おそらく日本人で初めてのキリスト教信者の誕生である。

聖人ザビエル氏とヤジロウの出会いは神に導かれるような運命的な出会いであったようである。


■キリスト教日本上陸
かくして1549年、聖人ら一行を乗せた船は鹿児島に上陸した。
ヤジロウも3年ぶりに故郷に帰ることになった。国外に渡り、外国人を連れてきた彼の罪は公式に許され、ここに日本でのキリスト教布教の歴史が始まったのである。

ヤジロウは、故郷鹿児島に残り、布教を続けたといわれる。その後どのように活動したか、いつ頃滅したかなどの詳しい足取りは定かではない。
ヤジロウと別れた後のザビエル氏は、平戸、京都、山口、豊後と渡り、中国へと旅だった。その後、マラッカにて高熱のため倒れ、彼の愛する神の元へ召された。47歳の生涯だった。


はるばるポルトガルから日本にやってきたこの聖人の活動は、その後の日本の精神文化を変え、私たち日本人に多大なる影響を与えた。このキリストの教え以外にも、当時の日本人が未だ見たことのない「西洋」の文化をも日本にもたらした意味においても重要な人物といえる。

また逆に、神秘の国日本の文化を詳しく西洋に広めた人物でもあり、当時、ヨーロッパではマルコポーロの東方見聞録でしかふれたことのない神秘の国日本の実体を詳しく伝えたのはこのザビエル氏である。


キリスト教はその後禁教令などにより、受難の時代を迎えるが、この聖人と日本人青年がもたらした一つの愛のともしびは、消えることなく多くの日本人の心に灯り続けた。
「ヨーロッパの最西端の国の聖人」と「アジア極東の国の罪人」という対をなす人間が出会い、結びついた運命的なドラマは、今年で450年を迎えたのである。






次回はいよいよ、「イギリススペシャル編」の予定です。



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