
■押し寄せる日本軍サッカーサポーター 1997年11月、サッカーW杯初出場の歴史的瞬間を見ようと、日本から大挙押し寄せた日本軍サポーターの数はおよそ2万人。W杯アジア地区最終予選、マレーシアはジョホール・バルにあるラーキンスタジアムはこの日、日本のホームグランドとなった。このサポーターたちの大声援に応え見事勝利を収めた大試合の感動は皆様方の記憶に新しい。1996アトランタオリンピック出場権を賭けた試合を決めたのもこの地である。マレーシア、ジョホール・バルは日本にとって縁起のいい場所となった。 さて、このサポーターの方々はどのようにマレーシア入りをしたかというと、日本から空路クアラルンプル入りし、陸路にてジョホールバルへ移動したのではなく、まずシンガポールに入り、陸路国境を越えてマレーシア入りしジョホール・バルへ移動したのである。 なぜかというと、地図をご覧いただくと分かるが、クアラルンプル〜ジョホール・バル間より、シンガポール〜ジョホール・バル間の方が断然近いからなのである。 したがってこの日、大挙した日本軍はシンガポールの空港とシンガポールの町にごった返したに違いない。 「日本軍」この言葉はシンガポールの国の人々の心に忘れられない記憶として残っている。 忘れようにも・・・う〜ん、忘れようにも、忘れようにも、彼らの気持ちを考えると、とても悲しい記憶の一頁として残っている。 ■おおっ、シンガポールは綺麗だ! さて、話はぜんぜん変わるが、私はこのサポーター達と逆の航路でマレーシアからジョホール・バルを経てシンガポールへ車にて移動した経験がある。シンガポールへ訪れた経験はこの1度だけ、わずか2日の滞在であったが、なぜかこの国のことがよく記憶に残っている。あとでお話しする慰霊碑のせいか。 シンガポールの第一印象は、多くの旅行者の方も口をそろえて同じ意見であると思うが、とてもきれいな国なのである。私は特にマレーシアの鬱蒼としたジャングルを超え、土埃の舞う道路を延々と走りながらやっとの思いでシンガポール入りしたので、マレーシアとのギャップを身をもって体感できた。 チャンギ国際空港は新しく機能的で、綺麗さでは世界一ではないかと思う。町並みは近代的な高層ビルが建ち並び、未来都市を彷彿とさせる。 その他、シンガポールといえばマーライオンがシンボルとしてあがめられているが、そのマーライオンとはマーライオン公園に飾ってある小さなライオンの像(公園の突端と公園内に大小2つあり、セントーサ島には巨大な像がある)のことだが、なぜか観光名所となっており、この前で記念写真を撮らないとシンガポールに観光に来たとは見なされないことになっている(本当か?)。 この国もマレーシアと同じく多国籍国家だが、マレーシアと違うのは華僑人(中国人)割合が多い。7割以上をしめるだろうか。ここに住む華僑人の特徴は英語がとても上手なのだ。(第一国語が英語なのだから当たり前か)かつてイギリスの統治下にあっただけあり、発音がブリティッシュなアクセントで美しく聞こえる。 宗教も当然イスラムの方達もモスクも多く見られるがマレーシアよりはぜんぜん少なく感じる。 ■この島が「昭南島」と言われていた頃 さて、この公園を、当時仕事でお世話になった現地社員のチャン(Chang)さんという華僑人の方に案内してもらった。有名なラッフルズ・ホテル周辺から多くの観光客のいるマリーナ・スクエアという海浜地帯を日本人が多いななどと思いながら散歩した。 このとき、War Memorial Park(戦争記念公園)とうい公園を歩いた。ここにそびえ立つ大きな塔が建てられている。 この塔の正式名称は「日本軍占領時期死難人民記念碑」(虐殺記念碑)という。 「昔、戦争アッタ、タイヘン大キナ戦争。日本軍イッパイコノ地ニ来テ、イッパインノ華僑人銃デウッタ、トテモイッパイ。華僑人亡ナッタネ」 華僑人のチャンさんは日本語で話してくれた。 この場所で日本軍は占領時に反乱分子と見なされる多くのシンガポール人(華僑人)を大量に銃殺したそうである。(その数5万人!とも言われている)人類がこのようなおろかなる過ちを二度と起こさないようにとの平和への祈りを込めて日本政府の資金援助のもとにこの慰霊塔は建設されたそうである。 そんなことぜんぜん知りませんでした。 戦争中、日本軍がアジア諸国で従軍慰安婦の問題も含めて多大なる迷惑を与えてきたことは歴史的事実として知っていたが、このシンガポールでの惨劇など細かい事実は知らなかったし、知り得る情報などない。日本を離れて外国の地でこのようなモニュメントを見ないかぎり分からなかったといったほうがいいのか。なぜか海外に出るとかえって日本の知らなかった歴史をこのように勉強できる場合がある。 私達の世代は戦争のあった時代を知らないし、ましてサッカーの応援に来た若人達なども知らないはずである。戦争をご経験された世代の方々も少しずつ少なくなっている。諸行無常はこの世の常であるが、ある意味でこのような慰霊碑は戦争や紛争で多くの人の命が亡くなることの悲しさやむなしさ、悲惨さを改めて次の世代に伝える大きな役割を担い、物言わず静かだが雄弁に私たちに悲しみを物語る。 −黙祷− ■国民持ち家率約8割の国 戦争終結後、イギリス植民地体制に戻ったが、1963年マレーシア連邦入り、1965年分離独立しシンガポール共和国が誕生した。 その後、この国は国民の約8割が自分の持ち家に住むという経済繁栄国家に躍進する。そして21世紀に向け将来繁栄度No1、そして日本をしのぐとも言われている。その辺の理由を次回レポートしたい。 次回は、シンガポール(2) 「英語教育の薦め」の予定です。 |
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