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スイスといえばアルプス。アルプスといえば登山。登山といえば、8000mを越える山々14峰すべてを制覇したイタリア人登山家ラインホルト・メスナー氏の話題にふれないわけにはいきません。 彼は超人的なアルピニストであり、そしてまた哲学者でもあります。 「死の領域で生きる」とはいったい如何なることでありましょうか。 登山を通じて掴んだ彼の悟りは、私たちへも大いなる学びを与えてくれます。 |
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■登山家「ラインホルト・メスナー」
ラインホルト・メスナーは1944年南チロルに生まれた。地球上には8000mを越す山々が、エベレスト(チョモランマ)、K2、ナンガ・パルバート、ヒドン・ピークなど14峰存在する。 彼は、そのすべての山々を完全制覇した唯一の人間なのである。しかも、酸素ボンベを持たず、まるでハイキングにでもいくかのような軽装備で登頂するという、常識ではとても考えられない離れ業を行った、スーパーマンといえる人物である。 8000mを越えた世界は、何人たりとも生存の許されない死の領域である。酸素の量は地上での約1/3。普通の人間がこの環境におかれたら、呼吸困難と寒さ(−30度にもなるという)で24時間以内に確実に死ぬと言われている。 酸素や寒さの問題をクリアできたとしても、そもそも普通の人間がこんな場所で命を賭けた登山ができるような体力や勇気があろうはずもなければ、その必要性というか、何のために挑戦するのかという動機そのものが理解できないというところではないだろうか。 動機においては、後ほどおわかりいただけるかと思うが、ともかく彼はこのような中を無酸素で、かつたった一人で数々の山々の登頂に成功し、そして「生きて還ってきた」人間なのである。 登山中に弟を亡くし、自らの死をも超え、人間の生きる道を山から悟り得た人物なのである。 ■「魔の山」ナンガ・パルバート 1969年の頃、ヨーロッパ・アルプスの山々を制覇した登山家ラインホルト・メスナーは、次なる登山の挑戦の矛先をヒマラヤに向けた。若く野心に満ちあふれた彼にとってはもうこの時、ヨーロッパ・アルプスの山々はあまりにも低く、小さい存在になっていた。そして、ついに1970年、ヒマラヤは「魔の山」といわれるナンガ・パルバートのルパール壁(世界最大級の岩壁)への登頂に、弟ギュンターを含む大規模な遠征隊で挑む機会を得た。 メスナー兄弟はグループの先頭に立ち、岩壁の雪の中でで何週間も籠城をしながらも登頂を続けたが、悪天候に阻まれ完登は断念せざるおえない状況になったのだが、メスナー兄が最終キャンプから単独での登頂を試みることになった。この時、弟ギュンターが兄の後を追い、登り来ることを兄は気付かなかったのである。そして6月27日このルパール壁をメスナー兄弟は見事完登したのである。 しかし、この時彼らの体力は限界に達しており、特に弟ギュンターは兄に追い付くための無理な登山がたたり、過度の疲労と高山病に冒されかかっていた。単独登頂のためザイルもなく、食料も水も無い彼らは、頂上付近にて数日間天候の回復を待つことになった。その後メスナー兄弟は生死をかけルパール壁とは反対側のディアミール側から降下することを決意し下山を開始した。 ■臨死体験 下山の途中メスナー兄は力尽き倒れ、およそ800mの崖を墜落してしまった。この時、彼ははっきりと、自分の体から魂が離脱し抜け出たことを意識し、自分の体が山を転がり落ちて行くところをはっきりと自分自身が目の当たりにし、もう一人の冷静な自分が存在していることに気づいたという。常識ではとても考えられない出来事である。 その後、彼は、最後の力を振り絞り、自分より体力の消耗した弟をなんとしても安全な場所に移動しなくてはと朦朧と起きあがるが、最愛の弟ギュンターは雪崩に呑まれ、帰らぬ人となった。 命辛々生還したメスナー自身も、凍傷により足の指6本と手の指先数本を失うことになってしまった。 それまで、野心に満ちあふれていた彼は打ちのめされ、絶望した。しかし、この経験で彼は変わったのだ。 「弟の死を克服するために、彼の死を僕の生命の一部であると考えるまでには、何年の歳月を必要とした。」(「生きた、還った」東京新聞出版局) 「人間は実は2つの違う次元の中を生きている。――この体験が、私の人生の最も重要な体験になったのです」 龍村仁監督映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第一番」に出演した彼は、映画の中でこのように述懐する。 「死」そして「生きる」ことへの命題を目の当たりにしなければならない経験であったのだろう。 ■メスナーの挑戦 その後、彼は再び山への挑戦を開始する。再び何度となくナンガ・パルバートへ向かい、1978年には無酸素単独による挑戦を行い、見事頂上に達した。1970年の悪夢を払拭し精神的にも勝利する成功だった。「自分のアルピニストとしての生涯の最も大きな飛躍を敢行することができた」(「生きた、還った」)と語っている。 その後彼は、マスナル、ヒドン・ピーク、エベレスト、K2、シシャ・パンマ、カンチェンジュンガ、ガッシャーブルム、ブロード・ピークとこの地球上に存在する8000m超級の14峰すべてを制覇するという前人未踏の大記録を樹立したのである。 彼は語る。山を征服したいために登るのではなく、ただ、自分を知りたいために登るのだと。 人間とは何か、どのような存在なのか、死とは、生きる意味とは――。 しばし、悟りへの道を山に登るがのごとしの比喩にたとえる場合がある。メスナーは文字通り「山に登る」ことで、何か道を求める僧侶のような心持ちで答えを求めたのであろう。 「いつも死を意識しているというわけではないのですが、私は「死」こそ生を充実させる最も重要な要素だと考えています」(地球交響曲第一番) さて、後編ではこのラインホルト・メスナーの悟りを、読者の皆様とともに学んでみたい。 「ラインホルト・メスナーの悟り」 後編 に続く |
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